生協のはじまり

食事

食事は、整えたいことの一つだった。

体がデリケートな分、以前から色々と調べてはいた。

自然栽培の野菜や、平飼いで飼料に気を配った鶏卵をネットで買い求めることもあったし、品質の良い調味料を使い始めてもいた。

ただ、食事は毎日のことだ。種類によって購入先が異なるのは大変で、とても継続できない。上質なものは、手にした瞬間、違いが判るが、相応の価格でもある。

その暮らしのサイクルが、息をするくらい自然に、無理をせず、日々の暮らしに落とし込まれ、馴染んでいなければ、苦しいだけで、意味がない。

それに、体に有害とされるものを100%取り除いた生活をすることは、もはや無理に等しいということが、時間を経るにつれ、理解できてくる。こういうことは「BEST」ではなく、「BETTER」の考え方で選択することが大切だという言葉も目にした。

退職後、命からがら始めたのは『生協』だった。

退職する一年ほど前になるが、最寄り駅の近くに臨時出店していた際、色々と話を聞いていたのだ。

可能な限り食の安全に取り組んでいることや、配達は週次で地域ごとにその曜日・時間帯が決まっていること、また配達時に不在だったとしても、商品は保冷剤やドライアイスの入った発泡スチロール製のコンテナごと、玄関先に置いておいてくれることが分かった。利用している世帯の多くが日中は仕事で留守にしているとのことだ。毎日の食における質と価格としても妥当だと思った。

在職中は、更なる詳細を調べて検討し、契約するまでの労力を、どうしても捻出することができなかったが、ここで、ようやく始めることができた。

※生協は、居住地域に対応している生活協同組合という「組合」に加入して、組合員となる(利用する生協にもよるようだが、運営資金となる「出資金」を1000円程度支払う)ことで利用できる。(この出資金は、退会時には返還される)

さて、新しく始めたことは、それに慣れて習慣となるまでに時間を要する。

始めの数か月は、毎週インターネットから注文して、品物を受け取り、冷蔵庫に収めることすら、体力的にもやっとのことだった。インターホンに出られないことすらもあった。今週注文したものが、翌週に届く(つまり、来週必要になるものを予測して、今週注文しておく)というシステムに慣れるまでにも随分かかった。

しかし、どんなに重たいものでも届けてくれるのが、本当にありがたい。以前は、スーパーで買い物した後、タクシーを拾って帰ることもあったからだ。冷蔵品や冷凍品のネット通販は、当然ながらある程度の送料がかかるが、生協は毎回わずかな配達手数料で利用できる。日用品も取り扱っているため、買い出しに行く気力も体力もない弱った期間、更に社会の一時の非常時に、混み合うスーパー等に極力行かずに済んだ点で、どんなに助かったか計り知れない。

そして、「食事を整える」という「主目的に沿った買い物」をするために、自分がある程度納得した、出生のわかる食料品を日常的に購入するための、主となるルートを確保できたという安心感も持つことができた。

街では、出来合いのものなどを簡単に購入することもできる。その便利さに間違いなく助けられてきた。一方で、自分が持った基準で選択しようとすると、途端に難しくなる。この難しさと現実の折り合いを付けられずにいることもまた、疲労の一つになっていたのだった。

かつての遅い帰り道、「食べるための選択肢」はあるものの、途方に暮れてしまうようなあの感覚を、大切にしつつ終わりにしたいと思う。

生協を始めて三年が経過した現在は、食料品の種類や状況に応じて、スーパーやネット通販も併用している。

こうして、食料品の購入に関しては、おおよそのサイクルを定着させることができた。

そして「調理」はまた、別の話なのである。

会社員生活17年に渡るインターバル走の末、疲れ果てて「何もかも整えたい」と2019年に退職。現在は、専業主婦の傍ら新しい働き方を模索しつつ、退職後に向き合ったことや日々感じたことなどをエッセイにして発信している。趣味は、日向ぼっことクーピー画。

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