実家のその後のあれこれ(2)

実家関連

田んぼや畑の上には、まだ広く雪が残っている。庭木の冬囲いもそのままだ。四月上旬、前回の『実家のその後のあれこれ(1)』の帰省からおよそ十日後に再び帰省した。今回は移動日を含めて三日間である。

母のスマートフォンを格安SIMに切り替えるための「下準備の続き」を行う。前回の帰省時に申し込みのサポートを行った母の新しいクレジットカードやネット銀行のキャッシュカードについて、手元に届いていることを確認した上で、それぞれダイレクトメールは不要とする手続きを行った。そして次回以降に母のスマートフォンを(その後どこかのタイミングで父の携帯電話も)格安SIMに切り替えるにあたり、どの格安SIM会社が良さそうか、各社が出しているプランから事前に比較・検討を行い、絞り込んできた。ポイントは、両親が住む地域でも利用可能かどうか、両親それぞれの使い方からデータ容量がどれくらいあれば良いか、通話のオプションがあるかどうかである。たくさん通話をする母は、かけ放題のオプションが必要だし、短い通話をすることが多い父は5分かけ放題のようなオプションがあると良い。両親二人ともできれば同じ格安SIM会社にしたいところだ。またスマートフォンの端末を新しくするにあたり、その機種も見繕った。その結果をパワーポイントに簡単に纏めてきたため、両親それぞれ空いている時間にパソコンで見せて説明した。初期費用は端末代を含めていくらなのか、月額のコストシュミレーション、現状と比較してどれくらいのメリットが見込めるのかを含めて話をすると、それで進めて欲しいとのことだった。契約者である両親から了解を得たことにより、次回以降の帰省において今回行った説明と確認の時間を取ることなく、すぐにその手続きとサポートに取り掛かることができる。

実家での生活に母は精神的にも体力的にも限界を迎えている。最終的にどんな形になるか今はまだ分からないが、前向きなその日は必ず訪れると心に思いながら、今できることを黙々とやっていくしかない。引き続き少しずつでもモノを減らしながら、母が感じる日常のストレスを取り除いていく。その一つが、障子戸である。母の部屋には東側と南側に窓があり、その内側は障子戸になっている。どんなに貼り直しても剥がれてくる障子紙は、真冬でも容赦なく母を苦しめきた。現在は障子紙が剥がれた区画に布が画鋲で貼られており、継ぎ接ぎのようになっている。「どうやっても障子紙が剥がれてくる」という話をこれまで何度電話口で聞き、私までげんなりとさせられてきただろうか。建て付けも悪くなっているため、これまでの大片付け・大掃除で来た際には、障子戸のレールにサラダ油を塗って滑りを良くしていた。「この家にいつまでいるか分からないから、あまり手を掛けるな。倒れるぞ」と母は言うが、先のことが「いつ」と決まっていない以上、様々な不便による我慢と忍耐を要する暮らしは続く。このままでは、駄目なのだ。障子戸はできるだけ早く取り払って、カーテンにしていくことにした。

既に母の部屋の押し入れは、襖を取り外して両開きのカーテンにしてあり(近年、父と母で対応した)、母は毎日の布団の上げ下ろしが劇的に楽になったと言っていた。襖だと開けた状態でも襖一枚分の幅しか開かないので、作業しづらいのだ。母の我慢強さと父の対応の遅さに半ば呆れながら「もっと早くそうすれば良かったのに」と謎にすら思っていた。それからほんの数年して更に歳を重ねた母は、布団の上げ下ろしが億劫でもう嫌になってきた、とさえ言うようになっている。それは母が見てきた身内の言葉と同じらしく、自分自身が歳を取ったことを痛感しているようだ。

余談になるが、この家の電気の契約アンペア数は、何と近年まで15Aだった。私はまだ在職中だっただろうか。母が夕食の支度で電子レンジを使っている中、先に入浴した私がドライヤーを使うと、間違いなくブレーカーは落ちた。父は面倒臭そうに「ドライヤーを使ったからだな」と言って、懐中電灯で照らしながらブレーカーを上げていた。古い家だから程度に思っていたのだが、あまりにもしょっちゅうブレーカーが落ちるのでおかしいと思い始めたとき、どんなに言っても父が15Aから変えようとしないことを母から聞くと、あまりの驚きに声から何からひっくり返ってしまった。一人暮らしの時でさえ30Aだったし、一体どうやって普段生活しているのだろうか。私が帰省することで、特に冬は普段使わない部屋のエアコンは使うし、何かと同時に電気を使うことが多いので、ブレーカーが落ちるのは当然だったのだ。帰省中の私も普段生活している母も、半ば強制的に不便な生活を強いられているような状況をようやく理解し、頭にきた私は、すぐに契約アンペア数を上げるように父に対してかなり強く言ったことがある。自分では一切の家事をしない、ドライヤーも使わない、寒さにも強いからといって、それらを無駄使いかのように捉えるのは間違っている。その後、契約アンペア数は30Aに変わった。

電気の契約アンペア数然り、母の押し入れのカーテン化然り、「これまで母がしてきた我慢は一体何だったの?」「母の人生を何だと思ってるの?」「当たり前のことに対する父の逆ギレは何なの?」と、怒りがふつふつと込み上げてくる。大体、この古い家や父に合わせて生活することに無理があるのだ。子どもの頃、よその家庭では取るに足らないような何でもないことが、どうしてうちはいちいち困難なのかと感じることがあったのを思い出した。大人になった今は、その背景が理解できるし、それぞれの言うことを客観的に考えられるようにもなっている。私の経験の全てを総動員して、おかしいことにはおかしいと言うつもりだ。いつまでもこの家に無駄な苦労を強いられている場合ではない。私が大人になって出来ることが増えた分、両親は歳を取った。これ以上、母に我慢をさせてはならないのだ。

何もかもが遅きに失する前に、一刻も早く母の部屋の障子戸をカーテンに変えていきたい。まずは東側と南側それぞれに要するカーテンレールの長さと、両開きにするカーテンの幅と長さを計測した。カーテンは、冬の外気が入りにくいよう裾が畳に付く長さにする。そしてネットショップで手頃なカーテンレール(ダブル)と、カーテン(ミラーレースと遮光カーテンのセット)を見繕い発注した。今回の中一日の滞在中にできるのは、ここまでである。母には発注したものの受け取りだけしておいてもらい、開梱と設置は次回の帰省で行うこととした。

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Yoshimi

大手電機メーカーのサプライチェーンを担う物流会社において、輸出手配や輸出入コンプライアンスの業務に従事してきました。
2019年の退職を機に取り組んだことや深く感じたことをエッセイとして記録するとともに、そのほんの一欠片がどなたかにとって何かのヒントになればと思い、このブログを始めました。こんな物語もあるんだな、と読んでいただけたら嬉しいです。
趣味は、日向ぼっこ・クーピー画・たまに着物で美術館に出掛けることです♪(これらの背景については、追々記事にしていきたいと思っています^^)

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