時は二〇二〇年二月。実家の祖母が亡くなって一か月余りが過ぎたころで、まだ実家の大片付け・大掃除や、日々の生活だけでやっとの頃である。ある日、同じマンションに住む方がチャイムを鳴らした。一体、何のご用だろうと出てみると、来年度はうちが順番上、町内会の「班長」の一人を務めることになる旨のお話だった。ここに住み始めて七年、町内会費の集金や回覧板はあるが、それだけだった。それ以前に一人暮らししていたところでは回覧板もなく(物件によるのだろうか)、マンションの管理組合のように、賃貸の世帯は地域系の対象外なのだろうと漠然と思っていた。「うちは賃貸なのですが…」と言うと、町内会の仕事であるため、我が家のように賃貸の世帯も対象とのことで、回覧板を回す順番で年度ごとに交代していくのだそうだ。班長はこのマンションに数人おり、その中から地区長といわれる、町内会と各班長の橋渡しをする担当を選出するらしい。この方は当年度の地区長であることを後から知った。来年度の地区長を決めるため、翌週土曜日の夜、新班長の世帯はマンションのエントランスホールに集まった。さほど大変な仕事ではないとはいえ、うちを含め立候補する世帯はなかったため、あみだくじで決定した。
頭の中は「夜」である。これまで何の面識もなかった同じマンションに住む方が訪ねてくること。町内会だけでなく、地区長や班長という存在を知り、マンション内の新班長の世帯が夜に集まっている状況。それは、これまでの自分とはあまりにも関係がなく、実生活とはかけ離れた、日常でありながら非日常のような、夜のまどろみの中に見るぼんやりとした世界だ。主には地区長を決めるだけの簡単な場に夫にも付いて来てもらったのは少し大げさだったかもしれないが、未知の世界に疲労困憊の身を引きずって一人で行くには、何かを取りこぼしそうで心配だった。それに滅多にない機会における取っ掛かりの場を一緒に見ることで、来年度から行うことになる非定常の仕事が現実であることを共有しておきたかったのである。
三月に入ると、当年度班長を務めたお隣さんから玄関先で簡単な引き継ぎを受けた。同時に回覧板の台紙等も預かる。このお隣さんは、朝の出勤時にたまにお見掛けすることはあったが、直接お話ししたのは初めてのことだった。事前に聞いていた通り、大変な仕事ではなさそうなので、我が家では私が対応することにした。
新年度に入ると、町内会の全班長は集会所で開催される総会というものに出席して諸々の説明を受けることになっている。ところが、この年は”新型コロナ”の影響により中止となり、五月の回覧板で総会の資料を確認することによる「書面表決」に代えることとなった。体力的な事情から、どこかに出向いて時間を割かなくても済むことに救われた。代替策を講じてくれた地域に感謝すると同時に、社会全体が色々なことを見直す時期に来ているように思われた。更に、秋には町内会館で行われる防災訓練に参加する予定だったが、それも中止になった。そのほかの主な仕事は、担当のフロアに回覧版を回すこと、町内会費や赤い羽根共同募金の集金、敬老のお祝い品の受け取り希望者を確認することだ。適時、地区長さんと連絡を取り合って、対応を進めていく。
それにしても、何とも絶妙な仕事量。決して大変ではないけれども、時々やることがある。毎月の回覧板において、効果を考えて適宜工夫することなどは、若干の意欲にも繋がった。例えば、うちのように殆ど読まずに印鑑だけ押して次に回す世帯があるとして、必ず読んでいただきたい文書があった場合には赤いサインペンで「必読」と書いた付箋をつけた上で重要な箇所には蛍光ペンで線を引いて見やすくしておくとか、町内会の文書だけでは具体的な対応が分かりにくいことにはメモを付けて補足するとか、町内会費の集金に伺う日時やドアポストに入れていただくことでも良いことなどは期日とともにメモに記載するとかである。担当世帯のご協力もあって円滑に仕事を進めることができた結果、お預かりしたものを地区長さんへ渡しに行くと「早いですね」と言っていただくこともあり、素直に嬉しかった。翌年度の班長さんに向けて、仕事内容を文書一枚に整理して引き継ぎに備えたりもした。今はひたすら閉じこもっていたいから、俗世間から隔たって生きようとしている。けれども「隠居はさせまい」と、蜘蛛の糸一本分、辛うじて社会と繋げられているような気もする。何者かによるその蜘蛛の糸により、生まれ育ったわけではないこの地において、自分が住むマンションの住人の方々や地域との繋がりを、僅かながらにも初めて感じることができたのだった。
そして、かのご時世によりもたらされた良い側面を私は見逃したくないと思う。班長と各世帯間において、これまで対面で行っていたこと(例えば、集金や領収書の受け渡し)がドアポスト経由でも完了できるようになったことは、双方における時間と労力の削減に繋がったからだ。翌年度から現在に至るまで、完全にドアポストのやりとりだけで完了する流れになっている。
余談になるが、町内会の仕事はその地域によって大きく異なる。都道府県や市町村レベルではなく、もっとずっと小さなコニュニティーだ。わたしが住む町内の仕事は軽いものだが、田舎の実家においては、聞けば驚くような業務量だ。町内会費の集金一つにしてみても、わざわざ半年に一度、各世帯を回ることになっているそうだし、夏には運動会が行われると聞いたときにはびっくりしてしまった。農作業や家事だけでも疲労しているのに、その当日は炎天下の中、時間も区切らず永遠と敗者復活戦が続く様子にうんざりしたという母の話を聞くだけで馬鹿馬鹿しく思えてくる。少子高齢化や過疎化も進み、働く世代はとんでもなく忙しいし、農家をしている両親だってそれだけでやっとの状況だ。三十年前、四十年前とは随分と状況が変わっているのに、誰もそれを変えてはならぬが如く、あり方だけが変わっていない。変わらないことが、逆に不自然な程である。必ずしも必要ではない、デメリットがメリットを遥かに上回っているような行事が、かのご時世により中止になったと聞いたときは、実に好ましく思った。
そんなご時世と班長の経験を経て、もし自宅で災害等に遭った場合は、マンションの住人の方々と協力し合いたいと考えるようにもなった。何かあったときには、そのとき物理的に一番近くにいる人たちと助け合うことになるだろうからだ。かの状況下においては店内のトイレットペーパーが売り切れるというニュースもあったが、もし何か不足して困っているものがあれば、エントランスの掲示板を利用して分け合うとか、そんな仕組みがあったらいいなと考えたりした。そもそも、そんな体制があるのだろうか。少なくとも、班長の引き継ぎを通して両隣の方と直接お話しができたことは大きいと感じる。そんなことをずっと考えていたので、班長の務めから四年が経ったある日洗濯物を干していると、お隣の奥さまがベランダ越しに話しかけてくださり「何かあったら言ってくださいね」と言っていただけたことは、とても嬉しい出来事だった。
地域のことも、同じマンションに住む方のことも、何も知らなかったわたし。周辺の道でさえ、極端に言えば、自宅と駅までのルートくらいしか知らなかった。それが、町内会のことを知り、同じマンションに住む方を知り、町内会長さんのお宅を知り、選挙の投票所となっている集会所とは別に町内会館があることを知り、また老朽化によりその町内会館を建て替えようとしていることを知り、災害発生時の避難場所となっている小学校とそこまでの道順を知り、氏神様である神社を知り、近くの公園で行われる夏祭りのことを知った。もう少し余裕ができたら、行ってみたいなぁと思うのだった。
現実感のない現実は、灰色掛かった世界だ。でも、その中にも淡い小さな光はあった。よく覗いて見てみれば、その中にもはっきりとした色彩を感じることができる。それを引き出したり、その中に身を置いてみたりして臨場感を感じることができたとき、もしかしたら、これまで見ていた世界の色彩が反転するのかもしれない。
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