2019年から断続的に取り組んできた実家の大片付け・大掃除は、2020年の梅雨に山を越した。実家で朝から晩まで動き回ることができるのは、滞在中に常時分泌されるアドレナリンによるものである。しかし、疲労体で莫大なエネルギーを使う反動は大きく、自宅に戻ると一週間近く動くことができない。休息を取るために退職したのに、何故にここまで体を酷使しなくちゃならないのかと思うが、それでも「今、どうしてもやらなければならない」のだ。夫と住む賃貸の部屋は、実家とは対照的に実にコンパクトだ。暮らしに掛かる労力は、実家とは比にならない。残像に残る古民家の黒光りする柱と、目の前の白い壁。際立つ二つのコントラストの中、名ばかり主婦は、何とか家事をするのだった。
それから秋になると、妙に腕が痛むようになった。鍋を持ち上げるのも、食器の入った引き出しを開けるのも、木べらを使って炒めている食材ですら、とても重たく感じる。そのうち洗濯ばさみをつまんでも、歯磨き粉のチューブを押すだけでも痛むようになってしまった。近くのクリニックで診てもらうと、「テニス肘」といわれるものだと判った。大片付け・大掃除で重たいものを持ち運んだり、広範囲に渡る連日の拭き掃除等で、腕に負荷が掛かったためと思われた。最も心当たりがあるのは、床の粘着を必死に削り取った、あの作業だ。(『実家の大片付け・大掃除(7)』参照) 取り去るのに労力の掛かる“置き土産”を残してくれただけでなく、テニス肘のおまけまで付けてくれちゃって!…なんて、考えるのはやめにした。すべて私が必要だと感じて、私が私の責任で行ったことなのだから。
クリニックの先生のお話から予想した通り、現代の整形外科における治療法では、なかなか良くならないことは実感としてすぐに分かった。そこで、以前から大きな関心を寄せていた治療法について調べてみることにした。杉本錬堂先生が独自に編み出した「天城流湯治法」である。公開されている情報からテニス肘について調べてみると、その原因は「肩甲骨の滞り」とあった。肩甲骨にくっついてしまっている筋肉を爪先で剥がす必要があるようだ。やってみると、とんでもなく痛い。「痛みの原因は、その箇所ではなく離れた場所にある」という錬堂先生の理論を痛みとともに理解する。ありがたいことに、このセルフケアによって、テニス肘はかなり改善した。働きかけるポイントさえ知れば、お金も掛からず、自分で対処し治すことができるのだ。「自分の身体は自分で治す」というコンセプトは、まさに私が望むあり方でもある。今でも何となく腕が痛みそうなときには、このセルフケアを継続している。
その後、私が驚嘆したのは、あまりにも晴れやかで眩しい元旦の青空だった。この年は、田舎にある夫の実家への帰省を控えることになり、人生で初めて関東の自宅で年越ししたのだ。雪が降り積もる豪雪地帯の実家とは、まるで別世界の様子に何度もつくづく驚いた。なんて爽やかなのだろう!そして、こんなにも違うのか・・・。そのあまりの差異は、衝撃とともに、申し訳なさのような心苦しさを胸の隅に感じさせた。夫と二人で過ごす年末年始は、とても静かで落ち着いていた。お正月の花をいけたくらいで、特別なことは何もしなかったと思う。それがとても幸いだった。これまでとは違う雰囲気を纏った時世は、この時の私にそっと休む時間を与えてくれたのである。
そんな2021年の年明けを味わう中、事故は突然起こった。実家の父が小屋根の雪下ろし中に落下したのだ。実家では、前年十二月中旬頃から大雪に見舞われていた。母から電話があったのは、救急搬送されてからだっただろうか。一報を受けた瞬間、起こるべくして起こったと感じた。父はこれまで、あまりにも母の忠告を聞かなかったからだ。母の手術から半年、今度は父の事故で、「ちょっと休ませてよぉ」という心の声とは裏腹に、そうは言っていられない状況が押し寄せてくる。母は着の身着のままスマホを持って救急車に乗り込み、救急隊員と掛け合いながら二つの病院で長時間待ち続けたことにより、ほとほと疲れてしまっていた。すっかり夜になってから、どこか病院の近くのホテルに予約を入れて欲しいことと、スマホの充電がもう残り少ない旨の電話があった。すぐにホテルを探して予約を取り、母に連絡した。ホテルのフロントにスマホの充電器を貸してもらえないか聞いてみるように伝えると、どうやら貸してもらえたようで助かった。こんな日は、事故に遭った本人はもちろんだが、その家族にとって、様々な形で急な負担を強いられる。体力が落ちている母にとっては、特に大変な一日になった。
遠隔でのサポートに徹しているとはいえ、否応なしに対応せざるを得ない状況は、疲労体に鞭を打って業務を遂行する日々を思わせる。もし今もなお在職中だったら、と考えると本当に恐ろしい。その恐怖の正体は、父の容態でも母の悲鳴でもなく、自分自身が限界を迎えてパニックに陥ることだった。外仕事に慣れている屈強な父であっても、七十歳になりこのような事故に遭った。両親が年を取ることで、不測の事態が突然、しかも連続して起こり得る。時間的にも、気持ち的にも、そして体力的にも、ある程度の余白を作っておかないと、こんなとき素早く対応することができない。そのためにも、常日頃から自分自身や家を整えておく必要があるのだ。 父の入院中も、容赦なく大雪は続いた。母は運転ができないので、私も弟も帰ることができない。降り積もった雪は、母屋が完全に埋まってしまうほどで、母はついに業者に依頼し重機で除雪してもらった。(これには以前実家に置いてきたお金が役立ったようである。このような状況下では、お金を下ろしに行くこともできないため、手元にある程度の現金を置いておくことが必要だと実感した。)父の入院中は、叔父が時々車で来て、家の除雪作業のほか病院への母の送り迎えをしてくれた。普段なら病院まで車で片道40分程度のところ、およそ2時間も掛かるような道路状況だった。父は頸椎がつぶれていることが判り、結果として23日間の入院となった。そんな大怪我だったにも関わらず、障害も残らず無事に退院できたことは奇跡ともいえる。家神様に守られたと同時に、母が身を削ってサポートしていることが大きい。同時に、これは最後通告だとも思われた。当の本人だけが、これを分かっていないのである。
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