実家の大片付け・大掃除(8)

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一階の奥座敷は、一年前に片付けた居間の隣にあり、同様に十二畳ある。奥座敷と居間との間には六枚の板戸があり、奥にある四枚の障子戸の先は縁側になっている。奥座敷をぐるりと囲むようにしてある長押(なげし)には、遺影のほか、色々なものが額に入って並べられており、この家には処分に手間の掛かる額がまだまだあることを再確認させられる。もはや額を見るだけで、その処分工程が頭に浮かんできてうんざりしてしまうのだった。しかし最終的に、遺影は一体どうなるのだろう。奥座敷には、押し入れ、仏壇、床の間がある。やはり作業は上からだと考えながら天井を見上げると、40cm程の間隔で細い木が敷かれている。(「竿縁天井(さおぶちてんじょう)」というらしい)早速、天井帚で一列ずつ掃いていった。

次は、額ものである。この奥座敷で最もきちんと飾るべきは、祖父の戦後強制抑留者に対する書状と銀杯だろう。ところが、セットであるこの二つが並んでいない。飾られた数々のものは、何の脈絡もなく、ただ空いているところに置かれているような状態だ。肝心なところに芯を通さないこの家の様子が表れていて、残念であると同時に納得がいかない。この家が最終的にどうなるのかは分からないが、最後くらいはきちんとしたい。飾るものは、選別した上で並び変えることにした。

遺影以外の額を取り外してみると、中には大きな木枠の一部が壊れて外れており、危険なものもあった。(ここから二年掛けて、段階を経ることになるのだが)最終的には、祖父の当該書状と銀杯、そして父が子供のころからあるらしい『元氣』という書を残すに至った。奥座敷の額ものは、遺影を除きこれら三つだけである。処分する額縁は、一つひとつ解体していく。その作業の一環で、祖父母の金婚式の写真に取り掛かろうとしたとき、この期に及んで一体何に遠慮しているのか、「それは残しておこう」と言い出す母に驚いた。デジタルカメラで撮影したその写真のデータは父が必ず持っている。結局、その額は引き出しの上に置いて作業を保留している間に、落として表面のガラスが割れてしまったのだが、中の写真はガラス面に貼り付いていて、剥がそうとしたら破れたのだった。ある意味、当然のように思われるこの物理的な結末によって、各人、処分することに納得するのかもしれない。割れたガラスを淡々と片付けながら、これで良かったとしか思えなかった。そして脚立に乗り、長押や柱の高所を水拭きして回った。

残す額は埃を拭き取り、それぞれの額紐を支える釘や額受の位置を調整しながら、奥から順に設置していく。すると、ちょうど遺影と向き合う形でこれらの額が並んだのである。残すべきものだけを残し、ようやくすっきりとした奥座敷になったように感じられた。遺影の祖父は、正面に整理された書状と銀杯を見て、ほんの少しだけ、照れくさそうにしていた気がする。祖父の価値観と合っているのかは分からない。生前であれば、多くのモノを処分していることに間違いなく納得しないだろう。それでも、取捨選択する必要性とその意図を、亡き祖父は僅かながらも理解してくれるのだろうか。

押し入れの襖二枚は、糊ごと経年劣化しているようで、全体に薄茶色のシミがある。墨字で縦に九~十文字、三列ずつ書かれていて、書いた人の署名と落款印も押されているが、草書体で何が書かれているのかは分からない。早速、襖を外して押入れの中を空にすると、中の白壁は結構かびていた。白壁と木の継ぎ目の隙間からは砂が出てくる箇所もあり、そこにはガムテープが貼られていた。白日の下に晒して見える、築100年の現実である。襖も押し入れの中も、掃除機で埃を吸い取り、雑巾で水拭きした。かびは取れなかった。一日~二日乾かした後、上下段それぞれに新しい敷物を敷き、上段には冬に隣の居間で使う炬燵一式を、下段には叔父が泊まることになった場合の布団一式を、壁に触れないようにして収納した。これが、今ここでできる最善の対応だった。

仏壇周りは、母が普段整えているので大掛かりな作業はないが、主に引き戸の中を母と確認しながら整理した。ここにある経緯が分からない仏像や(海外旅行のお土産?)、書籍、使い切れない線香の在庫等を処分し、必要な仏具や仏事関連のものだけにすることができた。仏壇全体と経机の埃を拭き取り、床の間へと移る。床の間には、掛け軸が掛かっているほか、高砂人形、花瓶、大きな木彫りの布袋様が置かれている。小壁(こかべ)の裏を見上げると、大きな綿埃が見えたので、地味に疲労が割り増しされた。天井帚で埃を取り除き、床の間全体と置物の拭き掃除を行った。重くてとても持ち上げられない布袋様は、少しずつ回転させて全体を拭いた。

作業しながらつくづく感じるのは、家の維持・管理があまりにも大変であるということだ。今となっては、たった二人暮らしなのに、この家はあまりにも広く、モノが多い。家族の中で常時対応できる掃除の専任がいない限り、日頃は最低限の箇所で精一杯だろう。大きな重量物や高所の掃除等、高齢になるに従いどんどん難しくなる。だから最低限、モノを少なくしておく必要があるのだ。板戸を水拭きし、障子の桟(さん)に積もった埃も拭き取り、最後に掃除機を掛けて、奥座敷を終了した。

奥座敷に隣接する縁側は、雑多な物置になっている。母に確認すると、餅つき機や大きな扇風機など、現在使用しているものも置かれていた。雑然とモノが置かれていて、いつ覗いても砂っぽいこの場所の床板が、子どものころから好きではなかった。天井を見上げると、屋根の傾斜と古い木の構造がそのまま見える。(「垂木(たるき)」というらしい)縦にも横にも組まれている木材の凹凸は、天井帚で埃を払うだけでも面倒な作業になることを容易に想像させた。しばらく躊躇したのち、簡単でも良いから上からやることを決心して、垂木や梁の埃を払ったのだった。

縁側の窓ガラスは、ほんの一拭きしただけで、雑巾に真っ黒な手形がつく。窓拭きされていない年月を感じさせる。何度も何度も雑巾を取り換えながら、窓の内側と外側を拭いていった。窓サッシには、砂埃だけでなく、白っぽい綿状のものが幾つも挟まっていたが(虫のものだろうか)、それも取り除いて拭く。網戸も拭く。そんな中、私が来ていることが珍しいのか、父と同年代くらいの近所の男が二人、遠くで話しながらこちらを見ている。農作業の合間と思われるにも関わらず、その二人は暇なのか、随分と長い時間、そこで井戸端会議をしていた。

大片付けや大掃除をしていると、色々な思いや感情が沸き起こってくる。

「なぜ祖父母は、体が丈夫であったのに、何十年もの間、片付けをしてこなかったのか」

「なぜ父は、あんなに無頓着で、最優先で取り組むべきことに着手しないのか」

「なぜこの家に殆ど住んだこともない私が、こんな大変なことをしなければならないの」

「弟ばかり、何もしなくてずるい」

「一体、世の中の人たちは、離れた実家の片付けをどうしているのだろう」

窓外にある木枠の上部には、セミの抜け殻が逆さまに付いている。手に取って、自然に返した。祖父母、とりわけ祖母は、元来の性格と世間知らずが相まって、色々な意味であまりにも強かった。特に母に対しては、かなりの「いじわるばあさん」でもあった。お蔭様で晩年まで健康で、二人とも九十六歳~九十七歳という長寿を全うしたが、その陰には、終始我慢を強いられながら必死に尽くしてきた母がいる。あまりにも両極端な有様は、心の中で折り合いをつけることが難しい。そんな時、私が描いた『はじまりの絵』が思い浮かんでくる。まるで無秩序に感じられるその様子は、正誤でも、善悪でもなく、ただ異質なものが同時に存在している状態なのだと、絵が語りかけてくる。激しいコントラストの部分を見ているに過ぎないのだ、と。そして今こうして、一人で大片付け・大掃除に没頭している私もまた、あの絵の中に描かれた絵具の色の一つなのだ。

私の心を反映してか、遺影の祖母はいつもばつが悪そうにしているのだが、この祖母でなければならなかったことがあるに違いない。時折、押し寄せるやりきれない感情と拮抗しながら、この数か月前の出来事を必死に忘れまいとした。それは2019年11月、未知の国のツアーに一人で向かう機内でのことだった。楽しみにしていたその海外旅行は、最低限の体調を工面して何とか実現した。初めて乗る中東の航空会社の飛行機で、不思議な安心感に包まれながら眼下の雲を眺めていると、何の前触れもなく、唐突にその気持ちは訪れた。祖母に対する、命を繋いでくれたことへの感謝の気持ちである。実家の祖母に対して自然とそんな思いが出てきたのは、自分でもまったく意外なことで、初めてのことだった。今まさに始まった想像もつかない旅に思いを巡らせたとき、「ここに存在しなければ」すべて体験しようのないことなのだと感じたからかもしれない。そのときのことを忘れてはいけないと、もう一人の自分が懸命に訴えてくるのだった。

縁側の床板は、殆ど絞らないような雑巾で水拭きした。木目のくぼみに砂埃が入り込んでいるので、水を多く含んだ雑巾で擦った方が良い。元も古く、どうせすぐに乾くので、あまり気を使わなくて良いのである。この家に対して思うことは色々あるが、それでも掃除(殊に拭き掃除)をしていると、家が喜ぶのが分かる。もはやここまで来ると、長年、雨風を凌いでくれていることに感謝するしかない。

床板は、水が乾くとこれまでよりもずっときれいになっていた。何よりも、拭き終えた窓は見違えるようで、外に見える畑の緑がとても綺麗に映った。縁側の障子戸と、奥座敷と居間の間の板戸、そして居間と台所の間の障子戸を開けると、その鮮やかな緑は、台所からも見ることができた。遠く離れた台所から、縁側の光と風と緑を望む。どこもかしこも閉め切っていたこの家において、初めて見る光景だった。それは母にとっても同様だった。その明るさと美しさに目が留まったまま、脳は新しいデータを書き込んでいるのか、二人でしばらくその景色を眺めていた。このときに見た縁側の窓に光る緑を、私はきっと忘れることができない。

会社員生活17年に渡るインターバル走の末、疲れ果てて「何もかも整えたい」と2019年に退職。現在は、専業主婦の傍ら新しい働き方を模索しつつ、退職後に向き合ったことや日々感じたことなどをエッセイにして発信している。趣味は、日向ぼっことクーピー画。

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