専業主婦のはじまりは、「名ばかり主婦」のはじまりだった。
もっと快く、色々なことができるようになりたい。けれど、できない。
このときの疲労度を数値化するとしたら、95%だ。(100%=死)
理想の朝は、出勤する夫のために朝ごはんとお弁当を作り、夜は夕食を作って待っている。
現実の朝は、まず起きることができない。そして夜は、帰路についたことを知らせる夫のメッセージで、泣きたくなるほどパニックになる。理想と現実の乖離が著しい。
「専業主婦になりたい」と言ったとき、不思議そうというか、怪訝そうな顔をする人もいた。周りにそのような女性がいないからだと言う。確かに共働きがスタンダードなこの時代において、専業主婦を選択する人は少ないと思われる。私が退職することによって、世帯収入が減ることも、正直かなりの痛手だ。この苦い点を呑んで、夫は了解してくれた。
専業主婦になりたかったのは、体力の限界を迎えたことが差し迫った一番の理由だった。もし独身であったとしても、間違いなく私は退職を選択しただろう。しかし、体力的な理由を除いても、私は一度「専業主婦」というものを体験してみたかった。このまま、ただ働き続けていたのでは、生物的にどんどん馬鹿になってしまう、と感じていたからだ。
本当はもっと知らなくてはいけないことを、知らないでいるような感覚。
それは、自分や家族の健康を守るための知識であったり、養生のための昔の人の知恵であったり。母や祖母を含めた、恐らくたくさんの先人たちが、家族のため台所で当たり前にしてきた多くのことが、今の私にはできない。同じレベルでやろうとは思わないが、それでも最低限、必要だと思うこと、合っていること、ちょうど良いと感じることは、きちんと知って、できるようになりたい。それは「収入」では測れないもののような気がした。出来る事なら、働きながらでもそれを学び、実践したかった。しかし、私はとうとうこの状態になって、退職を選択し、そしてようやく着手するための時間を得たのだった。
ところが、実際には、時間を得たところで、体が動かない。
この体調のおかしさは、どうやら、はた目には分からないらしい。
はた目どころか、これまでの会社の健康診断においても、特段の異常はなかった。
できることなら、一年間でいい。療養を目的として温泉に泊まり、何もせず横になっていたい。食事はお粥や雑炊を出してもらい、温泉に入り、気分と体調によっては、緑の中を散歩してもいい。そんな風に過ごしたいと、心から思う。
でも、現実は、何もしないわけにはいかない。
横になっていたところでお腹は空くし、日々、通勤している夫もいる。
掃除と洗濯は何とかできるが、問題は日々の食事作りだ。
何を作るか考えて、段取りながら一連の調理を行い、洗い物をして…と、とにかく考えることとやることが多い。今は簡単なレシピもネットで検索することができるが、このときの私は、調べる気力すらもなかった。それで、刻一刻と迫る夫の帰宅に「夕食どうしよう…何も思いつかない…体も動かない…。」と、日が暮れると同時にパニックになっていたのだった。
「作れない」と言えば、夫は帰りに何か買ってきてくれる。でも、買ってきたものは食べたくない。シンプルなものでいい。とにかく簡単なものでいいから、体に優しいものを作って、食べたい。
それを何とか、凌ぐ。
そんな日々が、少なくとも一年は続いた。
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