陶彩画家の草場一壽(くさば かずひさ)さんを知ったのは、あるブロガーさんの情報がきっかけだった。陶器の板に絵を描き窯で焼く、焼き物の絵画「陶彩画」を独自で生み出された方だ。気になって調べてみると、『大人のための気持ちいいお絵かき教室』というものを開催していることがわかり、すぐに申し込んだ。退職直後のことだった。
アクリル絵の具でキャンバスに絵を描く。楽しみにしていたそのお絵描き教室は、思いもよらず、とても深い体験になったのだった。
絵を描くのは好きだが、もう随分描いていない。
いざ描いてみると、思っているよりもずっと、意図しているようには、描けない。
それが何だかもどかしい。
けれど、もしかしたら、だからこそ。
この色も、あの色も、こうしてみよう、ああしてみようと、キャンバスの上で試してみたくなる。色々やってみる。どうなるかは分からない。試し描きもなく、この過程がすでに本番になっている。これまでの色々なことが頭の中に浮かんできた。
長かった会社員生活。今はただとても疲れていて、真っ黒な足跡をつけてきたかのようだ。高校のころ、地元で習っていた新舞踊のことなども遠い日の映像として思い浮かんだ。ただ、あの時の躍動感のある気持ちは、今すぐには呼び起こせない。私は、リセットするために退職して、今この場に来ている。これまでの人生だけでも、色々なことがあった。
キャンバスの上には、単色のところも、多色のところも、明るい色のところも、色が混ざりあって濁っているところもある。何色か言いようのない色それぞれが、個々にも、またつながったりもしながら、ただ存在しているような状態。
これは、私の人生そのものだ。
表(舞台)も裏(舞台裏)もない。
ポジティブに感じることも、ネガティブに感じることも、そのどちらとも言えることも、何とも評価しがたいことも、稚拙に思えることも、わからないこともある。
しかし、そうか。
「それが、絵になっていた」のだ!
それがわかったとき、これまでのすべてのことを、ただ肯定的に感じられた。
そして、筆先から白い絵の具をキャンバスいっぱいに落としてみたとき、はっとしたと同時にこみ上げるものがあった。
それは、私が生まれた日に降った初雪だったからだ。
これは、私の『はじまりの絵』。
自分が描いたその絵のタイトルが、心の中で確かにわかった。
意図して描いていないが、自分にだけわかる、たくさんのサインが入っている。
「黒が効いてますね」という草場先生のご息女のお言葉は、言われたその時よりも、後々になって響いた。お絵かき教室から何か月か経ったころ、その黒の中に宇宙があるのを見つけた。自分が「黒」と表現した「それ」から、宇宙が生まれていた。それは、私のはじまりだけでなく、宇宙のはじまりでもあったのだ。
また少し時が経過すると、その絵の具の宇宙は、乾いて少しひび割れていた。この世には、まったく同じ状態で恒久的にあり続けるものは、何一つない。宇宙もまた、変化しているということだ。
この絵は、不思議なことに見るたびに新しい気づきや発見がある。
時々出して眺めていると、「あぁ、そうか」と分かることも多い。
キャンバスの上の不規則な絵の具の色々は、自分自身だけじゃない。この世界を表しているかのようだ。正誤でも、善悪でも、巧拙でもなく、存在しているすべてのもの。
内は外、外は内。それが宇宙。
そして、すべてのはじまり。
不思議な絵の具の色の空を、いつか見たかもしれないと空想したりもする。
これは「自分が自分に」描いた絵なんだと、しみじみ感じる。
このお絵描き教室の最後には、ほかの参加者の方々の絵も観ることができた。
驚くほどに、お一人お一人、まったく異なる絵。使用した絵具の色も、色の数も、タッチも、何もかもがそれぞれ違う。そして、そのどれもが本当に素晴らしく、心の底から感動したのだった。絵を通して、自分と同じように、参加者お一人お一人の人生を大切に愛おしく感じた。
とても見応えのある展覧会に来たかのようだった。
このサイト『はじまりの絵』は、私が描いたその絵のタイトルから名付けた。
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