雪国で春を感じる一番良い季節。四月の終わりから五月にかけて、私は再び帰省していた。前回の『実家のその後のあれこれ(2)』の帰省から十八日後のことである。今回は移動日を含めて十日間だ。母の部屋の低い障子戸の窓辺には、トマトの苗が置かれていた。
前回からの仕掛り事項として、まず行わなければならないのは、母の部屋の二か所の障子戸をカーテンに変えることである。早速、既に届いているカーテンレールとカーテンを開梱し中身を確認した。カーテンレールは、設置する場所の幅に合わせて長さを調節する形になっている。早速設置したいところだが、本作業に入る前に障子と窓回りを掃除することにした。母はいつも朝の炊事・洗濯・朝食を終えるまでは一階の台所にいて、その後は二階にある自室で休んでいる。両親の朝食の時間は私にとって早すぎるし、二階に来た母の周りで掃除や片付けをしていると「落ち着かない」「休まらない」と言われるので、掃除は帰省の翌朝、母が一階にいる時間帯に行うことにした。何をするにも掃除とセットになるのだが、これまでに行ってきた大掃除に比べれば、何てことない普段の掃除の延長程度のことである。
翌朝、母が台所で朝食の準備を始めると、母の部屋の障子と窓回りの掃除に取り掛かった。実家にあるたくさんの古布は、適当な大きさに切って大きなビニール袋に入れてあって、その山を見ると謎にやる気が湧いてくる。一階の洗面所でバケツ代わりの容器に水を入れてきて、一掴みの古布を浸す。それを絞っては使い捨ての雑巾として使い、ごみ袋に入れていくのだ。台所の母には「ご飯はまだいいのか?」と言われたが、「まだ後でいい」とだけ言って、さっと二階へ上がった。母は常日頃から「休め」と、事あるごとに言ってくる。それは、母自身が疲れているからであり、昔からあまり丈夫でない私の身体を心配してのことでもあるのだが、洗濯物を持って二階に上がるだけでさえも「後でやるから、干さなくていいぞ」「あまり休みなく動くな」「倒れるぞ」と、釘を刺すように言ってくるので、できるだけ速やかに持ち運びする必要がある。それでも「洗濯物干してくれて、悪かったね」「トイレ掃除してくれたんか」「階段が綺麗になった~」等、やったことには気付いてくれる。しかし、瞬時に気配を察知して口うるさく言ってくる母も、以前ほど細かいことには気が付かなくなった。父ほどではないが、耳も少し遠くなり始めている。煩わしさがない分作業は捗るが、掃除しようとしていることまでは感知することのなかった母の後ろ姿に、歳を取ったのだな、と感じる。きっといずれ、今よりもっと気付かないことが多くなって、いつか、やったことにも気付いてくれない日がもし来るとしたら、私はきっと、寂しいと思うに違いない。そんな微かな気配を心の奥に残しつつ、今は進めるべき作業に手を動かしていく。東側と南側にある、二か所の窓の内側・外側と、上下のレールを含む窓サッシを雑巾で拭き上げた。障子戸の桟の埃も掃除機で吸い取った。後は、障子戸を取り外してカーテンレールとカーテンを取り付けていくだけだ。
カーテンレールを設置しようとしたところで、母が二階に上がってきた。早くカーテンの設置を済ませて、その後にゆっくり朝食を取りたかったのだが、母に促されて先に朝食を食べたような気がする。カーテンレールは一人で取り付けるつもりだったが、長さもあるので母が手を貸してくれた。早々に障子戸を外している。先に南側、次に東側の作業を行った。カーテンレールは床と並行になるように母に押さえてもらいながら、脚立に上がって各箇所の木ねじをドライバーで締めて固定していく。いよいよカーテンを取り付け終えると、母の部屋は一気に明るくなった。障子戸だと片側しか開けられず、見える窓も半分だけだが、カーテンだと全開することで窓の全面から外の光が入ってくる。その明るさは、全く障子戸の比ではない。視覚的にも窓が広くなったように感じられ、家庭菜園の畑も眼下によく見える。昔の造りで窓下部分が低く(膝くらいの高さ)、障子を開けると外から見られているようで嫌だとも言っていた母だが、日中はミラーレースのカーテンにしておくことで、外からの視線を遮りながら部屋の中を明るく保つことができる。そもそもミラーレースカーテンが分からない母には、日中は外から殆ど見えない仕様になっていることを説明したものの、慣れるまではなかなかピンと来ない様子だった。カーテンにしたことにより、窓の外にある物干し竿に洗濯物を干したり取り込んだりするときにも、開け閉めが楽で、左右どちらの窓からも作業がしやすくなる。そして何より、もう剥がれた障子紙や布を張り直す必要がないのだ。
今までの不便が解消されて、母は喜んでいる。実生活を送るにつれ、その快適さを実感していくことだろう。これも大片付け・大掃除に続き、この家における大きな改革の一つとなったのだが、想定していた通りさほど難しい作業ではなかったことに加え、母が感じてきた不要な苦しみの年月があまりにも長かったが故に、「出来ることなら、もっと早くこうしたかった」という思いが、心の奥に滲み出てくる。しかしながら、どう考えても、これが最短であり、最速なのだ。退職を機にこの家の大片付け・大掃除に取り組み、今やっと、これまで手が回らなかった母の部屋のカーテン化に着手し、それを終えることができたのだ。そして、気付いたこともある。これまでは、父もいるのに何でそんなに対応が遅いの?と謎に思っていたのだが、両親はネットショッピングができる訳ではないので、例えば今回のようにカーテンレールとカーテンを購入する場合、父が運転する車でホームセンターに行く必要がある。広い店内の売り場を歩いて探して、幾つもの実物を前に見繕うことになるだろう。その時点で、カーテンレールをダブルにする必要性も、ミラーレースカーテンの存在も、寒さ対策のために遮光等級の高いカーテンを選ぶ必要性も、知り得ていない。今回ネットショップで数ある商品の中から選んで購入したものより、価格も高くなると思われる。高齢の域に入った両親にとって、普段の生活を送ることの他に、このような商品を検討し、購入して、設置するに至る手間と労力が、現実的に難しいのだ。自分にとってはすればできることでも、現在の両親にとっては、そうではないことが思っていたよりも多い。そして日常的に噛み合わない二人にとって、イレギュラー対応は根本的に困難であるということが、難しさを倍増させていたのである。

コメント