実家の大片付け・大掃除(4)

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術後の母が回復し、食事作りができるようになると、私は連日朝から晩まで大片付けに明け暮れた。

早速取り掛かったのは、浴室だ。普段は母が掃除しているが、当然、高い場所や細かいところまでは掃除しきれない。登れるところには登りながら、全面の壁や窓、窓サッシなど、高所の汚れを落とした。浴室の引き戸とそのサッシも掃除した。古い洗面器(実家がこの家になって以降、洗面器は各自のものを使用している)やいくつかある掃除用ブラシ等々、不快に感じるものは、どんどん処分した。シャンプー類もかなり整理した。祖父母それぞれのシャンプーは「使える」という理由で父は処分することを拒むが、かくいう父は、あまりシャンプーを使わない。母は別のものを使っている。誰も使う見込みがなく消化の目途も立たないそのシャンプー類は、そのままにしておけば少なくとも10年はそのままだろう。そんな時間はない。父が外仕事に出かけていない間に、それらを粛々と処分した(一応意を汲んだことを示すために、1~2個在庫を残しておいた)。全体の掃除を終え、新しい洗面器を並べると、目に映るモノがすっきりときれいになり、今までよりもずっと気持ち良く入浴することができた。それは母も同様だった。

次に取り掛かったのは、玄関だ。ここには下駄箱が二つある。一つは備え付けの下駄箱で、もう一つは母の婚礼箪笥に付いてきたものだった。備え付けの下駄箱の上には、電話の子機や(近年まで黒電話だった)複数の置物や母がいけた花が飾られている。特に気になるのは、ワニのはく製だった。およそ50~60cmで、叔父が海外で買ったものらしいが、それは私が子どもの頃には当たり前にあった。いつも埃を被っており、雑巾で拭くにも歯や爪がトゲトゲしているので、私はこれまで浴室で直接シャワーをかけたりしていた。(するとワニの目が輝き、全体がツヤツヤとする。それを何ともいえない複雑な心境で掃除していたのだった…)処分するに出来なかったものの一つだったが、祖母も亡くなった今、ついに処分するべく「お疲れ様でした」の気持ちで新聞紙に包んだ。もう一方の下駄箱の上にも、母がいけた花や小物が飾られていたが、これも母と整理した。

そして、下駄箱の中に取り掛かる。中のものをすべて出すと、一方の下駄箱から思いがけず私が高校の時に履いていたローファーが出てきた。カビも生えている。「こんなの、もう捨てて良かったのにー!」と母に言うと、「それ、あなたが捨てるなって言ったんじゃない」と返された。覚えていなかったが、高校卒業後に言ったのだろう。もう履くことはないと分かっているが、つま先が丸くて気に入っていた。靴としてというよりは、思い出の品として一旦取っておきたかったのだと思う。忙しさに紛れて処分を保留したものだったが、母は忠実にそれを守り、そのまま忘れ去られて約20年という時が経ったのだった。この間の月日を何だか申し訳なくも、今まで取っておいていてくれたことをありがたくも思った。下駄箱の中は、物置のようになっているようにも感じた。玄関にすべての履物を並べて、両親に不要なものを確認する。一部、祖父の履物もあった。備え付けの下駄箱の戸は、取り外して処分することにした。この厚い戸を閉めると、父の靴が真っ直ぐに入らず、横にして入れられていたからだ。そもそも開け閉めしづらく、下駄箱の用をなしていない。どこもかしこも広い割に窮屈で、本質的に筋が通らないこの家の様子に腹が立ってくる。一度空にした下駄箱は、その内側も下も、数十年分の掃き掃除と拭き掃除を行った後で、必要な履物は簡単にブラシをかけて収めた。三段あるこの下駄箱には、合計16足を入れたが、あと3足分位は余裕ができた。戸を外して良かった点は、一目瞭然ですべての履物が見渡せることと、履物の出し入れが容易になったことだった。母の生活動線や動作の負担を少しでも軽くする必要がある。今後の掃除も劇的に楽になる。脚がガタついて母も処分したがっていた下駄箱も撤去した。玄関の引き戸と床等も掃除すると、空気が通り抜けるように、とても開放的になった。特に、戸を取り払った下駄箱に履物が整然と並べられた様子は、これまでとあまりにも違う世界観が表れている。そこにようやく、ゆったりと飾られた母の生け花がある。数々のモノや不快な状態によって散らされていた視点と意識は、母がいける季節の花に大いに向くようになった。

場所はかわって、脱衣所。ここは前年の夏、窓際を片付け、天井と壁を掃除した。それから一年近くが経った今、再びできた蜘蛛の巣や埃が気になる。亡き祖父母のモノも含め、更なる処分が必要だ。古い歯磨き粉や父が使っていた液体の整髪剤(臭い)、前述したシャンプー類の余剰在庫は、一つひとつ蓋や封を開け、燃やすごみに染み込ませて中身を出し切る作業だった。とても一度に処分しきれる量ではないので、いくつかに分けた。液体類の臭いに気持ち悪くなったりもした。処分することは、容易ではない。ゴミの分別が細かい田舎においては、殊更、容易ではない。処分に取り組んだ結果、洗面台もその下の物入れスペース内も、以前と比べてかなり片付いた。洗面台には、一輪挿しの瓶も置けるようになった。

燃やすごみも不燃ごみも、ごみ袋に入るモノも入らないモノも。この家の家庭ごみは、次から次へと、とめどなく山のように出てくるのだった。

会社員生活17年に渡るインターバル走の末、疲れ果てて「何もかも整えたい」と2019年に退職。現在は、専業主婦の傍ら新しい働き方を模索しつつ、退職後に向き合ったことや日々感じたことなどをエッセイにして発信している。趣味は、日向ぼっことクーピー画。

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