術後の母が回復し、食事作りができるようになると、私は連日朝から晩まで大片付けに明け暮れた。
早速取り掛かったのは、浴室だ。普段は母が掃除しているが、当然、高い場所や細かいところまでは掃除しきれない。登れるところには登りながら、全面の壁や窓、窓サッシなど、高所の汚れを落とした。浴室の引き戸とそのサッシも掃除した。古い洗面器(実家がこの家になって以降、洗面器は各自のものを使用している)やいくつかある掃除用ブラシ等々、不快に感じるものは、どんどん処分した。シャンプー類もかなり整理した。祖父母それぞれのシャンプーは「使える」という理由で父は処分することを拒むが、かくいう父は、あまりシャンプーを使わない。母は別のものを使っている。誰も使う見込みがなく消化の目途も立たないそのシャンプー類は、そのままにしておけば少なくとも10年はそのままだろう。そんな時間はない。父が外仕事に出かけていない間に、それらを粛々と処分した(一応意を汲んだことを示すために、1~2個在庫を残しておいた)。全体の掃除を終え、新しい洗面器を並べると、目に映るモノがすっきりときれいになり、今までよりもずっと気持ち良く入浴することができた。それは母も同様だった。
次に取り掛かったのは、玄関だ。ここには下駄箱が二つある。一つは備え付けの下駄箱で、もう一つは母の婚礼箪笥に付いてきたものだった。備え付けの下駄箱の上には、電話の子機や(近年まで黒電話だった)複数の置物や母がいけた花が飾られている。特に気になるのは、ワニのはく製だった。およそ50~60cmで、叔父が海外で買ったものらしいが、それは私が子どもの頃には当たり前にあった。いつも埃を被っており、雑巾で拭くにも歯や爪がトゲトゲしているので、私はこれまで浴室で直接シャワーをかけたりしていた。(するとワニの目が輝き、全体がツヤツヤとする。それを何ともいえない複雑な心境で掃除していたのだった…)処分するに出来なかったものの一つだったが、祖母も亡くなった今、ついに処分するべく「お疲れ様でした」の気持ちで新聞紙に包んだ。もう一方の下駄箱の上にも、母がいけた花や小物が飾られていたが、これも母と整理した。
そして、下駄箱の中に取り掛かる。中のものをすべて出すと、一方の下駄箱から思いがけず私が高校の時に履いていたローファーが出てきた。カビも生えている。「こんなの、もう捨てて良かったのにー!」と母に言うと、「それ、あなたが捨てるなって言ったんじゃない」と返された。覚えていなかったが、高校卒業後に言ったのだろう。もう履くことはないと分かっているが、つま先が丸くて気に入っていた。靴としてというよりは、思い出の品として一旦取っておきたかったのだと思う。忙しさに紛れて処分を保留したものだったが、母は忠実にそれを守り、そのまま忘れ去られて約20年という時が経ったのだった。この間の月日を何だか申し訳なくも、今まで取っておいていてくれたことをありがたくも思った。下駄箱の中は、物置のようになっているようにも感じた。玄関にすべての履物を並べて、両親に不要なものを確認する。一部、祖父の履物もあった。備え付けの下駄箱の戸は、取り外して処分することにした。この厚い戸を閉めると、父の靴が真っ直ぐに入らず、横にして入れられていたからだ。そもそも開け閉めしづらく、下駄箱の用をなしていない。どこもかしこも広い割に窮屈で、本質的に筋が通らないこの家の様子に腹が立ってくる。一度空にした下駄箱は、その内側も下も、数十年分の掃き掃除と拭き掃除を行った後で、必要な履物は簡単にブラシをかけて収めた。三段あるこの下駄箱には、合計16足を入れたが、あと3足分位は余裕ができた。戸を外して良かった点は、一目瞭然ですべての履物が見渡せることと、履物の出し入れが容易になったことだった。母の生活動線や動作の負担を少しでも軽くする必要がある。今後の掃除も劇的に楽になる。脚がガタついて母も処分したがっていた下駄箱も撤去した。玄関の引き戸と床等も掃除すると、空気が通り抜けるように、とても開放的になった。特に、戸を取り払った下駄箱に履物が整然と並べられた様子は、これまでとあまりにも違う世界観が表れている。そこにようやく、ゆったりと飾られた母の生け花がある。数々のモノや不快な状態によって散らされていた視点と意識は、母がいける季節の花に大いに向くようになった。
場所はかわって、脱衣所。ここは前年の夏、窓際を片付け、天井と壁を掃除した。それから一年近くが経った今、再びできた蜘蛛の巣や埃が気になる。亡き祖父母のモノも含め、更なる処分が必要だ。古い歯磨き粉や父が使っていた液体の整髪剤(臭い)、前述したシャンプー類の余剰在庫は、一つひとつ蓋や封を開け、燃やすごみに染み込ませて中身を出し切る作業だった。とても一度に処分しきれる量ではないので、いくつかに分けた。液体類の臭いに気持ち悪くなったりもした。処分することは、容易ではない。ゴミの分別が細かい田舎においては、殊更、容易ではない。処分に取り組んだ結果、洗面台もその下の物入れスペース内も、以前と比べてかなり片付いた。洗面台には、一輪挿しの瓶も置けるようになった。
燃やすごみも不燃ごみも、ごみ袋に入るモノも入らないモノも。この家の家庭ごみは、次から次へと、とめどなく山のように出てくるのだった。
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