2019年の年末は、夫の実家に帰省していた。
年が明けて2020年となった元旦の夜。母から電話があった。祖母が亡くなったとのことだった。急遽、翌朝夫の実家から一度家に戻り、その翌日に実家に向かうこととなった。
実家に着いて祖母の一連の葬儀を進めていくその間、大片付け・大掃除を進めていて本当に良かったと思った。特に一階の居間を片付けていたことは、大きかった。祖母を奥座敷に安置する際の動線も確保できたし、父は広々としたスペースの中で葬儀屋さんと打ち合わせができ、お寺さんや葬儀に参列する親戚等を片付いた居間に通すことができたからだ。ポットと湯呑茶碗も事前に準備して部屋の隅に置いておくことができたので、お茶出しもスムーズだった。慌ただしい状況においても、片付いたスペースが広くあることは、心の余裕に繋がった。居間の他に片付けた四畳半の部屋には、葬儀関連のモノを置くこともできたのだった。
祖母の葬儀は、滞りなく無事に終えることができた。三月の下旬には、四十九日の法要と納骨も終えた。
この年の六月。母が手術を受けることになった。9日間の入院だ。
手術当日は、日帰りで父と病院に向かった。手術開始から終了まで、待合スペースで父と待つ。無事に手術を終えた後も「新型コロナウィルス感染防止対策のため」直接の面会はできない。必要なものは、看護師さんを通しての受け渡しとなる。待合スペースで看護師さんと会話をした後、母の様子を見に行った看護師さん。ここで行き違いが生じてしまった。本来ならば、父と私はここで待っていなければいけなかったのだ。目を覚ました母の状況も確認できていないし、看護師さんとのやり取りもまだ途中という感じだった。ところが、父は「じゃあ、帰るぞ」と言って、すでにエレベーターに乗っている。「でも、帰るなら看護師さんに一言挨拶した方が…」「だって戻って来ないじゃないか。待っているようにとも言われていないだろう。」そうして、「いいのかな…」と思いながらも、病院を後にしてしまったのだ。
この日は新幹線に乗って帰宅するため、父に車で駅まで送ってもらった。父はそのまま帰路についた。駅の周辺で昼食をとっていると、母からメールが入って飛び上がった。「勝手に帰るな。寒いので薄手の毛布や掛け布団を買ってきて欲しいし、洗濯物もある!」急いで父に電話したが、案の定、運転中で電話に出ない。あの時の違和感に従って、待っていれば良かった。母がいつ麻酔から目を覚ますのか、忙しいはずの看護師さんがいつ待合スペースに戻ってくるのか、それは言葉の中からは分からなかったが、例え時間が掛かったとしても、私たちのするべきことは待つことだったのだ。母から連絡があった通り、急いで駅周辺の衣料品店に向い、必要なものを見繕う。すぐに使えるようにタグ等は外して袋に入れてもらった。それを両手に持って、タクシーで再び病院に向う。看護師さんにお詫びして母に頼まれたものを預けると、その後看護師さんを通して母の洗濯物が渡された。この日すべきことは、ここまでだった。タクシーで駅に戻り、母の洗濯物を持ったまま、新幹線に乗って普段の家に帰った。
この一週間後、母が退院する前日に再び帰省した。目的は、術後の母のサポート(主に家事)だった。この滞在がどれ位の日数になるのかは分からないため、夫とは、二週間程度と見積もり、後は状況次第ということにした。父と二人の夕食は、店屋物のかつ丼だった。翌朝、母を迎えに病院へ向かった。三人で医師の話を聞き、退院手続き等を終えると、車に荷物を積み込んだ。外で昼食をとり、食料品等を買い出しして帰宅した。
母が家に戻った後は、洗濯や風呂掃除に忙しかった。何を作ったか覚えていないが、何とか夕食を作った記憶だ(カレーだったかもしれない)。勝手がわからない台所で料理をすることも、造りが古く一つひとつの動線が長い家で洗濯をすることも、大変なことだった。母は、普段こんな不便な家で生活をしていたのか…と、身をもって感じた。父は自分の生家で慣れているし愛着もあるようだが、普段は外仕事しかしていないので、母の限界の意味を分かっていないようだ。これについてもまた、滞在期間を通し身をもって理解した。
脳のデータ容量と体力が著しく低下中の「名ばかり主婦」にとって、家事サポートの中で最も負担に感じたのは、食事作りだった。そもそも普段の自分の食事作りがしっくり来ていない(見直し中である)ことに加えて普段は朝食を取らず二食であることが多いのに対し、両親は規則正しい三食の生活だったからだ。夕食の片付け後は翌朝のご飯をセットして、朝は朝食作りのために起きるのも大変なことだった。朝食を終えると、すぐ昼食の時間になる。合間に洗濯を複数回と浴室等の掃除を行う。そうこうしている内に、夕食どうしようとなる。母と話して作るものは適当に決めるのだが、毎日毎食何を作るかとても考えきれないし、何から何まで到底やりきれない。
幸いなことに、母の回復は早く、割とすぐに食事作りも出来るようになった。元々、母は料理が好きで調理師の仕事もしていたので、食事作りはさほど苦にならないようだ。長年の経験と慣れから自動運転モードで食事が作れているように見える。私は元来掃除タイプなので、母が食事を作ってくれると、本当に助かる。母が作るときは多少手伝いつつも、洗濯や掃除に専念した。すると、前からではあるが、家のあちらこちらが目について仕方がない。どこもかしこも、片付けなければならない。
それから来る日も来る日も、朝目覚めた瞬間から夜に入浴するまで、一日中埃だらけになりながら家中の大片付けに明け暮れた。ほぼ全箇所に着手したのだ。各箇所、やることがあまりに多く、頭に溢れてくる。寝る前に各部屋のToDoリストを作ると、最終的に15枚にもなった。その全てを同時進行で進めていく。必要なものは何でもインターネットで注文すれば届くという、現代における最大の利点は、本当に助かった。
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