『一度、立ち止まって休みたい』
その心の声に従って、2019年の夏、17年余り勤めた会社を退職した。
その声は、長い間、ずっと聞こえていた。
『とにかく休んで、そして、何もかも、色々なことを整えたい』
わんわんと、心から湧き上がるその感覚が、とても大きくなっていた。
『今、どうしても休まなければならない』
仕事は好きだったけれど、あまりにも疲労が激しい。そして、こんなことをしている場合ではないような気がする。自分の中では、すでに何もかもが、かみ合わなくなっていた。
最終出社日を終えて帰宅したとき、自分の体に深く感謝と謝罪をした。
『ここまで持ちこたえてくれて、本当にありがとう』
『長い間、ずっと無理をさせて、本当にごめん』
この年の秋には豪雨が発生し、年明けには新型ウィルスの発生による混乱が生じた。
私には、その悪天候の中通勤する力も、勤務しながら生活の非常事態に対応する力も、もはや残っていなかった。体力の限界だった。この時は、もう駅まで歩き、電車に乗って、会社に行かなくても良いことに、ただひたすら安堵していた。
本当にギリギリだった。
同時に、何かの時が来ていることをひしひしと感じる。
何かによって、もたらされたこの時間。
体の中のすべての灯りを消して、長い夜の静けさと暗闇に紛れるような安心感の中で、「以前の私は、死んだのだ」と思った。それは、ずっと前から望んでいた『ただ休む』という休息だった。間違いなく、ここで人生における一つの章を終えたのだ。
振り返れば、入社当初からずっと忙しかった。暇だと感じた日は、一日もない。
学んだことも多く、後悔はないが、もう少し生活を楽しむ余裕やゆとりがあったらなら、もっとこんな風に過ごしたかった、と思うことはある。
一日の大半、週の殆ど、つまり人生の大部分を会社で過ごす年月の中で、「通勤と仕事のための体力の温存」が常に優先順位のトップにあった。週末だけでは体力の回復が追いつかない。限られた時間と体力は、先ず仕事に分配される。
それ以外のことは、その場しのぎの帳尻合わせで、この間に何か大切なことを突き詰めずに、すっ飛ばしてきたような気がする。気付かなければいけないこと、もっと知らなければいけないこともあるような気がする。
そして今、自分自身を始めとした、ありとあらゆるもののあり方がしっくりこない。
これまでの方程式では、もはや何もかもうまくいかないのは明白で、頭の中がパニックになりかけている。40代をスタートしていくにあたり、生活のすべてを見直したい。
早く新しい数式を探し出し、インストールしなければ…。
それは、新たな「雛型作り」といってもいい。
すべてのあり方の基本であり、核となっていくものであり、道である。
しっくりこないと感じる、一つひとつのことと向き合い、変えていきたい。
新たなものを試し、良いかどうか、合うかどうかを評価する。合うものは、それを日々の生活に落とし込み、馴染ませていく。そのための作業と期間が必要だ。
こうして、私の休息が始まった。
コメント